日本の手仕事

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

長年、手仕事を続けている。私の場合は、昆虫の標本作りである。

八〇歳を超えても、これには飽きることがない。一個体ずつの虫が、毎回挑戦である。肢を伸ばし、触角を伸ばし、左右対称に整える。

それだけが仕事ではない。その準備がまた、すべて手仕事である。

小さい虫は直接に針が刺せない。だから台紙に貼り付ける。市販の台紙があって、大きさもじつにさまざまである。ドイツ製やイタリア製を売っている。多くは四角いので、その上に平らに貼り付ける。でもそれだと虫の腹面は見えない。だから三角台紙を使って、三角の先端に虫を貼り付けるのも普通である。この三角台紙は自分で作る。市販のものもあるが、気に入らない。台紙を切るのもむろん手作業。

無事に貼り付けたら、今度は針を刺す。これも機械ではできない。そこまでできたら、今度は針にラベルを刺す。ラベルには採集場所、年月日、採集者名が最低でも記録してある。緯度経度を入れることもあるし、ホストの植物名を記入することもある。ここまで行くと、いちおう標本の格好になる。

これをまず乾燥させる。乾かさないで箱にしまうと、カビが生える。私の場合は、蓋のない小さい箱、ユニット・ボックスと呼ばれるものに、とりあえず収めて、乾燥室に入れる。カメラ用の保存庫を自分流に改造してある。月単位で乾燥して、今度は仕分けをする。分類するわけである。仕分けして、ガラス蓋の大きな標本箱に収める。ここでももちろん、一頭ずつを手で扱う。

ここまでするのに、数カ月必要である。乾燥するところまでで、虫を採りに行った時間以上の時間がかかる。手作業は要するに手間である。

短く書いたが、その間にもいろいろ別な手作業をする。肢を伸ばす操作をするのは、粘着面を上にした絆創膏の上である。一、二ミリの小さい虫だと、近くで息をするだけで飛んで行ってしまう。だから粘着性のある面に虫を置いて、顕微鏡の下で作業をする。粘着が強すぎると、虫が剝がれないから、粘着力が適切でないといけない。それには「痛くない絆創膏」がいい。でも絆創膏の粘着面を上にするには、どうすればいいか。厚紙に両面テープをまず貼って、両面テープの粘着面を出し、そこに絆創膏を逆貼りする。わかりますよね。

こういうことが全部、手作業。私の家でも、標本が万の桁で並んでいる。いままでにかかった手数を考えると、自分で呆れる。

外国人と日本人では、標本の作り方が違う。日本人はむやみに丁寧なことが多い。肢もきちんと左右対称にすることが多い。ヨーロッパの人はそこまで凝らない。テキトーに針を刺して終わり。このあたりの違いが目立つが、理由はよくわからない。日本の人はとにかく丁寧なのである。きちんとしないと、気が済まない。

まあ、これは善し悪しである。きちんと標本を作っていると、他のことをする時間が減る。標本を作って安心して、その先に行かない。それはよくあることである。それでは何のために標本を作ったか、わからない。そのあたりでいつも悩んでいる。

箱根の別荘で標本作り。楽しくて、時間を忘れてしまうという。
撮影●島﨑信一

2019.11.15