スピリチュアルケアの定着に向けて

著者
大正大学地域構想研究所研究員・BSR推進センター主幹研究員
小川有閑

スピリチュアルケア導入の障壁

かなり間があいてしまいましたが、昨年12月17日に開催されたジョアン・ハリファックス(Joan Halifax)老師特別セミナー「個の苦しみから世界を癒す~「死にゆく人」に仏教は何ができるのか?~」のご報告の続きをしたいと思います。

前回は、現代社会において「苦」はどこに現れ、何が「苦」を生み出すのかというディスカッションの報告をしました。今回は、スピリチュアルケアの導入に関しての議論をご紹介します。本シンポジウムは、スピリチュアルケア師、臨床宗教師、臨床仏教師を育成する各機関(上智大学、東北大学、臨床仏教研究所)からも参加者がいたため、具体的な課題が共有され、議論が行われました。

欧米では、病院に宗教者がチャプレンとして常駐することが当たり前のようにあるのですが、日本では、まだ一般的な光景とはいえません。布教を目的とせず、患者やその家族の宗教観を尊重し、心のケアを行う臨床宗教師や臨床仏教師、スピリチュアルケア師の育成は進んでいても、受け入れ先は少ないのが現状です。では、その障壁は何か?参加者からは「社会の中でスピリチュアルケアの必要性の理解が進んでいないこと(特に医療者の理解が進んでいない)」、「宗教教団の閉鎖性」、「宗教教団の宗教者育成課程の閉鎖性」、「教育の時間が不足している」といった障壁が挙げられました。

「社会の中でスピリチュアルケアの必要性の理解が進んでいないこと」は、今も、病院で宗教者を見るのは不吉と思う人が多いことが端的に物語っているでしょう。「何故死ななければいけないのか」、「死んだら自分はどうなるのか」といった死を目前にした患者の心の痛みに耳を傾ける人の存在は重要なはずですが、それでも、できるだけ「死」は遠ざけておきたい、考えたくないという医療者、家族は多いようです。しかし、これからますます年間死者数が増加する多死社会・日本では、老いや死を遠ざけずに、正面から向き合うことは不可避ですから、スピリチュアルケアの必要性も増していくはずです。

「宗教教団の閉鎖性」、「宗教教団の宗教者育成課程の閉鎖性」という指摘ですが、布教をしてはいけないスピリチュアルケアと布教を目的とする宗教教団の、目的の不一致から生じるものと言えるでしょう。自らの教えを第一として、その教えを広めることが宗教教団の第一義ですし、宗教者育成も自宗派の教義を学ばせ、信仰心を強めることが最重要事項ですから、自分自身の信仰は出さずに、相手の信仰を尊重して、寄り添うスピリチュアルケアとは相容れないものとも言えます。その結果、なかなか教団からの支援が得られない、宗教者育成段階からスピリチュアルケアの基礎を学んでもらいたいけれども、その余地がないといった障壁が生まれているようです。

「教育の時間が不足している」という課題ですが、スピリチュアルケアを学ぶ講座は、その多くが社会人向けで、夜間や土日に開催されるもの。受講者の多くは宗教者や看護師、介護士といったケア提供者で、日中にメインの仕事を持っていることが影響しています。臨床の現場では、失敗は許されませんが、そのための学習、実習の時間が足りないという障壁が語られました。

深い気づきを実践につなげる

ハリファクス老師は、スピリチュアルケアを社会に施さない場合には、どんな問題が生じるのでしょう?と参加者に問いかけます。参加者からは、「スタッフのバーンアウト」、「(バーンアウトや疲労による)医療ミス」、「(医療ミスや虐待による)訴訟」、「AIの時代になり、いのちが生産性で測られるようになる」といった答えが出てきました。老師は、それらの回答を踏まえて、究極的には、個人の価値や幸せが阻害され、心が死んでしまう、生きづらい社会が生まれるのでしょうと指摘。だからこそ、スピリチュアルケアをどのように根付かせるかを一人ひとりが考えることの大切さを説きました。

老師の言葉に触発され、参加者からは「あらゆるところにケアラーがいるよう育成に励みたい」、「宗門大学でも傾聴を学べるように努力したい」、「医療者も全人的傾聴を学ぶシステムを」、「自己と他者の間に働く不思議な力を感じ取るケアラーの育成に励みたい」といった声が聞かれました。

ファシリテーターとしての老師の進め方は、問題は何か、その問題を生み出すものは何か、それに対応するにはどうすればいいのかを順序立てて、参加者全員が具体的に考えられるようになっており、参加者個々人が深い気づきを得ていたようです。日本のスピリチュアルケアはまだ揺籃期とも言えますが、社会に定着させるべく、このような学びの交流を重ねていることをご報告いたします。

会場の様子

 

2019.07.01