パン給食からごはん給食へ

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
岩村暢子

新聞社から取材申し込みがあり、学校給食の「ごはん」化について見解を求められたのは4月中旬であった。国の「ごはん推奨」を背景に「ごはん」の給食が2000年ごろから徐々に増え、近年(2017年)では、パンの出る給食が全国平均でも週に1.3回(全日本パン協同組合会 2017年)まで下落していると言う。給食にご飯が出るようになったのは1976年ころだから、学校給食と言えば「パン」であった世代には、そこまで「ごはん」が増えているのかと驚かれるかもしれない。既に1週間ほとんどごはんの給食ばかりになった地域もあると言う。

1953年(昭和28年)生まれの旧世代の私の学校給食体験(北海道A市)は、「コッペパンと脱脂粉乳と少々のおかず」から始まる。今でこそ「給食のコッペパンって、ホント不味かったよなあ」とか「脱脂粉乳なんか、我慢して息を止めて飲んだものだよ」などと語る同年代の人々も少なくないが、それは本当だろうかと思う。どこまで当時の実態を表しているのか、少なくとも私の記憶では、コッペパンにも脱脂粉乳にも、当時はそんなに不満を言う子がいなかったような気がする。第一、そんな給食が食べられたのも実は恵まれた地域の、恵まれた小学校に行っていた子供たちの話だった。

4年生(1963年)で転校した先(現:T町)の小学校にはまだそんな給食さえ完備されていなかったから、毎日弁当持参で通学した。冬場など、あまりの寒さで弁当のごはんが冷蔵庫で保管した飯の固まりのようになってしまうため、登校するとまず一番に弁当をストーブの横に並べて保管したものだ。そして、さまざまな事情があって弁当を持って来られない子供たちもクラスに何人かいて、その子供達は何も食べずに体育館や中庭で遊んだり休憩していたのも忘れられない。食べている子供も、皆が食べていない弁当の時間はどこか後ろめたいような時間だった。

その町の小中学校で給食が始まったのは、確か1966年だったと思う。薄切りの角食パン4枚と一人1本ずつの瓶入り牛乳、そしてオカズが配られたときは、子供心にも時代の豊かさを実感したものだ。その後、袋入りのラーメンや饂飩も給食に出ることはあったが、「ご飯」が出たことは一度もなかった。

さて、学校給食の問題を考えるとき、私たちはどうしても今の、目の前の子供たちの栄養問題や食育などを中心に考えがちだ。学校教育の一環としてなされる給食だから、当然かもしれない。だが、家庭の食卓調査をして20年以上になる私の経験からいえば、「その結果は、実は彼らが大人になった時に表れる」と感じている。

家庭の食事は各家庭多様だが、学校給食は週5日、毎日、何年間も続く。どんな食器でどんな食材をどんな料理法、味付けで食べたか。その刷り込みは、大人が考えているより大きい。「学校給食がそうだから、これが当たり前」と給食特有の少し奇妙な献立をスタンダードのように語る人がいるし、「学校給食がそうだったから」と言って、大人も馴染んだスプーンや皿の食器を使う家庭も少なくない。学校給食でパンになじんだ私たちの世代は高齢者になってもずっと食パン市場をけん引しているし、牛乳を飲みながら食べた世代は大人になっても家庭でもそうしがちだ。

学校給食は、ずいぶん昔からその時々の日本の国際関係問題や政治・経済的事情と深く関係し、それらを反映してパンになったりごはんになったり、良くも悪くも動いてきた。だが、それは「その時」だけでなく、未来の日本人の食生活、未来の日本の食文化に少なからぬ影響を与えるということを忘れたくない。

そして、給食の「ごはん食」化によって、全国各地に4700社(1989年)あった給食パン事業者が1299社(2018年)まで減ったこと、つまり関連する地域の事業者が7割も撤退・廃業に追い込まれたように、地域の食産業に与える影響も決して少なくないのである。

★その記事は、4月21日の読売新聞日曜版に「パン給食ピンチ」という見出しで掲載されている。

2019.06.03