建築の葬式

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

昨年、つまり平成30年9月15日、お茶の水の日本大学で「建築の葬式」という行事が行われ、私も参加させていただいた。ネットを見れば詳細はわかると思うが、簡単な趣旨をご紹介しておく。

この企画は、日大5号館と呼ばれる建物が解体されることになり、そこに縁のあった人たちが、何か記念行事のようなことをしたい、ということで始まった。
この建物には、建築関係の学科が入っていたという。私自身はこの建物に直接の関係はない。でもこの企画を立ち上げた若い人たちには、じつは鎌倉の建長寺に虫塚を作って以来、お世話になっている。

9月の当日は、私は欧州帰りでまだ時差がひどく、早めに失礼させていただいたが、それでも「建物の声を聴く」という企画に心を打たれた。建物にはじつにさまざまな声があるのだが、忙しい人たちはそれを聴く余裕がない。ヘッドフォンを付けて歩いている若者には、「耳を澄ませて世界を聴く」余裕はないと思う。

日本には面白い慣習があって、花塚や筆塚をはじめ、さまざまなものを供養する。今回の企画も、まあそれに似たようなものか、と思った。そもそも虫塚がお付き合いのきっかけになったのだから、いわば供養つながりである。

テレビで外国のニュースを見ていたら、最初が上院議員のセクハラ問題で爺さんが映っていた。次の瞬間に画面が変わって、シリアの空爆で生じた瓦礫の山。何気なく見ている画面が、んの脈絡もなく瞬時に切り替わってしまう。ニュースを流しているほうは、何にも感じていないのであろう。でもあの瓦礫は、当たり前だが、街だったのである。そこで人が生活をし、子どもを育て、商品を売り買いし、日常があった。それが瞬時に瓦礫の山。

近年、自然災害も著しい。人がわざわざ壊さなくても、町は壊れる。日本人はそれがよくわかっているはずである。私の世代は、それに加えて、広島と長崎、東京下町の大空襲が重なる。人が営々として積み上げてきたものが、一朝にして消え去る。

今年はたまたまドレスデンに行った。博物館にある虫の標本を調べに行ったのだが、この街も戦後は瓦礫の山だったはずである。いまはその跡形もほとんどない。ひょっとして瓦礫のままに残したら、という気持ちも人々の中にはあったかもしれない。ただ生き残った人たちも生活しなければならないから、断固復興するのであろう。

イタリアにソルフェリーノという小さな村がある。ここは近代戦の始まりと言われる、イタリア独立戦争当時の戦場だった。フランス、イタリア連合軍と、オーストリア帝国軍が戦い、一日で数万人の死者を出した。ここの教会には、そこで斃れた兵士たちの骨が整然と飾ってある。ここから赤十字が始まったのである。ヒトラーはこの村を訪問したことがあったのだろうか。

ただ一つの建物の解体に想いを寄せるのも人である。それを一気に破壊するのも人である。その優しさ、激しさをきちんと統御するのが、人としてなすべきことであろう。歳のせいか、そんなことを思ってしまう。

鎌倉・建長寺の虫塚で 撮影●島﨑信一

2019.01.10