歌と記憶

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

八十歳を超えると、友人、知人のお葬式が増える。それはまあ、やむを得ない。どうせいずれは当方の順番が来る。
手作業をしていると、耳が空いてしまう。慣れた作業だと、とくに頭を使うわけではない。傍に人がいれば会話ができるが、自分だけだと音楽を聴くことになる。それでも空いた時間ができるから、とりとめもないことを考える。

そういう時には、亡くなった友人のことをよく思う。気が付いてみると、それが音楽に絡んでいる。友人を偲んで歌を思い
出し、歌を聴いて友人を偲ぶ。葬儀でも故人が好きだった曲が流されることがある。

考えてみれば当然で、記憶は情動によって強化される。というより、記憶は情動と結び付いているのである。学生時代から
の飲み友達を、この二年で二人、失った。新宿の軍歌バーによく三人で通ったことを思いだす。ほかにもこの二人については、たくさんの思い出がある。あるはずである。でもまず最初に軍歌が浮かんできてしまう。
大学生として本郷に通い出したころ、最初に親しくなった友人は、東海道線で大磯から通っていた。私は鎌倉だから、帰り
道が東京駅まで一緒である。だからよく連れ立って歩き、そのうち友人の家に遊びに行くようになった。この男はアルゼンチ
ン・タンゴが好きで、自宅ではレコードでタンゴばかり聴いていた。遊びに行くと、聴かされてしまう。おかげで私はタンゴ
に詳しくなり、いまでもよく聴くことがある。同時にさまざまなことを思いだすことになる。

軍歌など、いまではほとんど聴く機会がない。街宣車がたまに通ることがあったが、いまではそれもほとんどない。CDを
手に入れようと思うほど、凝っているわけではない。だからたまにYouTubeで聴く。昨年亡くなった友人がよく歌った軍歌
がある。『アッツ島血戦勇士顕彰国民歌』。このタイトルをパソコンで変換して出そうとすると、けっこう手間がかかる。血戦はなかなか出ないし、勇士もすぐには出ない。融資ならたちどころに出てくる。時代は変わるのである。

叙事詩風になっているから、米軍のアッツ島上陸は五月十二日だとわかる。二番の歌詞が「時これ五月十二日」と始まるか
らである。死ぬ前の年に、気が付いたから、久しぶりに友人にメールを送った。アッツ島玉砕の日じゃないか。さっそく返事
が来て、玉砕はその十八日後だよ、と。「血戦死闘十八夜」とやはり歌詞にある。昔の歌は歴史の勉強ができるようになって
いた。『日本海海戦』なら「時これ三十八年の、狭霧も深き五月末」とあるから、年代を知る。いまの歌は『君のひとみは10,000ボルト』だから、覚えても物理や生物の試験に落ちるだけである。

それにしても、記憶と情動の結合はきわめて明白である。そのことは知識として知ってはいたが、自分の体験として確認す
ると、あらためてナルホドと思う。「懐かしのメロディー」といったテレビ番組があるが、あれは歌が懐かしいだけではない
であろう。その歌に伴って、さまざまなことを思いだすのに違いない。
それにしても、音楽に伴う記憶が多いことに、あらためて一驚した。たぶん私だけではないのだろうと思う。音楽がないと、記憶の世界はかなり荒涼としたものになるに違いない。亡き友を偲んで、また軍歌でも聴くことにするか。

鎌倉の自宅にて、愛猫まると。 撮影●島﨑信一

 

2018.12.14