古いものと同じもの

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

私は昆虫標本をたくさん持っている。自分で採ったものでは、五十年前の中学生時代の採集品もあるし、他人が採ったものでは、自分が生まれる以前のものもある。その意味では、古いものを保存するのは当然だと思っている。
建物や町並みは、昆虫標本のような自然物とは少し事情が違う。どうせ人の創ったものだから、時代の変化とともに滅びて当然。そういう見方もあろう。逆に昆虫なら、絶滅しない限りまた採ればいい、だから捨ててもいい、という理屈もあり得る。
人工、自然を問わず、すべてはその時かぎりと考えることもできる。昆虫なら、古い東京の虫の標本はもはや再び手に入らない。現地はビルになって、当然絶滅しているからである。その意味では考古学的な資料である。建物も似たようなもの。

さてどうするのか。というより、どう考えたらいいのか。
世界遺産というのがある。その思想がどういうものか、私は知らない。でも古いものを保存しようという意志が働いていることは間違いない。なぜ古いものを保存しようとするのか。
科学的に検証されてはいないと思うが、なぜかヒトは古いものにこだわるらしい。第二次大戦後に、欧州のいくつかの街が再建された。それもほとんど元の街と同じように、である。ペテルブルクがそうで、ドレスデンがそうである。日本でそれをするのは、伊勢神宮の式年遷宮であろう。
その背景にある気持ちはなにか。簡単にそれを定義することはできない。しかしまず第一に想定できることは、そうした風景が、その人の原点になっている可能性である。人には故郷があり、その故郷とは、都市でいうなら、その都市の風景であろう。その風景が失われることは、そのまま故郷の喪失につながる。故郷はかならずしも田舎の風景、自然の風景とは限らない。都会人にとっては、都市の風景なのである。
空間定位は動物の基本的な能力の一つである。ツバメは毎年同じ場所に戻り、サケは同じ川に戻る。そのときの「同じ」とはなんだろうか。ヒトにとっては、それが子ども時代の風景かもしれない。さらにそれを象徴するものとして、一般的に古いものを遺そうとする。それが世界遺産の背景にある感情ではないか。
仏教は諸行無常をいう。すべてのものは時とともに移り変わる。しかしヒトは間違いなく、移り変わらないものを求める。時とともに移り変わらないもの、それは情報である。だからヒト社会は、結局情報化する。現代はそれが著しい時代である。諸行無常という言葉自体は、何千年経っても変化しない。
でも情報の不変さだけでは、おそらくヒトは満足しない。ピラミッドや万里の長城に示されているのは、時とともに変わらない現物なのである。ピラミッドは方位に徹底してこだわっている。あれは正確に東西南北を向き、しかも北極星に向かう孔が作られている。方位とは時間とともに変化しないと思われる空間の性質を示す。東は東、西は西なのである。ヒトは意識を持った時に、「同じ」もの、時間的には「永遠」を望んだ。永遠とは時間とともに変化しないものを意味する。
古いものを遺そうとする。その根本はおそらく「同じ」にある。この「同じにする」という能力こそが、ヒトの意識に初めて生じた能力なのである。

2018.10.10