幸福度の考え方(上) ―地域別ランキングの問題点―

著者:大正大学 地域創生学部教授 小峰隆夫

経済学の目的とは、限りある資源を効率的に配分することによって、人々をできるだけ幸福にすることだ。そうすると、人々の幸福度を測定して、それを最大にすればいいという考えが出てくるのは自然の理である。
同じように、地域の幸福度がわかれば、その幸 福度を高めることが地域の豊かさを高めるはずだということになる。では、幸福度は測れるものなのだろうか。そして相互に比較ができるものなのだろうか。今回は、幸福度を測定した地域別ランキングについて考えてみたい。

客観指標法による
都道府県別の幸福度

まず、幸福度の測り方を整理しておこう。幸福度を測るには、大別して2つの方法がある。
1つは、幸福に関係しそうな指標を集めて合成 するという手法である。ここではこれを「客観指標法」とする。もう1つは、人々に直接主観的な判断(たとえば、幸せかどうか)を聞くという方法だ。同様にこれを「主観指標法」とする。
両指標法には、それぞれ一長一短がある。調査 の手間という点では、客観指標法の方が簡単だろう。客観指標法は、既存の指標を集めて合成すればよいのだが、主観指標法はそのために独自のアンケート調査を行う必要があるからだ。
他方、主観指標法は知りたいことをそのまま調 査できるという利点がある。たとえば、「地域との絆がどの程度強固なものか」を示す既存の指標は、あまり見当たらない。しかし、主観指標法であれば「困ったときに、相談できる人が身近にいますか」といった質問をつくることができる。
客観指標法は、同じデータセットを地域別にそ ろえれば、その比較が容易となる。実際の例としては、一般財団法人日本総合研究所(以下、日本総研)が編集する書籍『全 47 都道府県幸福度ランキング』(東洋経済新報社)では、定期的に都道府県別の幸福度を計算して、そのランキングを発表している。

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その2016年版では、 65の指標の変動率を調整した上で(指標によって変動の大きなものと小さなものがあるので、これを標準化)、ウエイトをつけずに単純に合計して、総合成績を出している(上の表参照)。
指標はいくつかのグループに分かれており、た とえば、「基本指標」としては、人口増加率、県民所得、財政健全度などが。「健康指標」としては、生活習慣病受療者数、ホームヘルパー数などが採用されている。
表では、そのうちの基本指標と5分野別のラン キングが示されている。その内訳は、総合成績では福井県が1位、東京都が2位に。逆に下位には、沖縄県が4 位、高知県が47位という結果だった。

こうした地域別のランキングは、注目度が高い。誰でも、自分の地域がどんな順番になっているのか気になるし、隣の県にだけは負けたくないといった気持ちも出てくるからだ。しかし私は、地域にランキングをつけるというようなことは、行わないほうがいいと考えている。その理由は次の通りだ。
第1は、指標の選び方が恣意的になることだ。私は役人時代(旧経済企画庁)に、「新国民生活指標」というものをつくったことがある。そのつくり方は前述の日本総研の手法と同じで、「住む」「費や」「働く」など8つの活動領域について、生活の豊かさを示す指標を選択して、それを合成するというものだった。
この指標も順位をつけて発表されたため、当時は大きな反響を呼んだ。そして、成績が下位とされた県知事からは、「指標の選択がおかしい」というクレームが寄せられた。

幸福度を地域別に 比較することの問題点

確かに、万人が納得するような指標の選択はありえない。たとえば、日本総研の「健康」指標の中には、「産科・産婦人科医師数」が入っているが、「自分の幸福度には関係ない」と思う住民もいるはずだ。幸福の追求の仕方は人それぞれなのだから、何を幸福とするかを第三者が勝手に決めるわけにはいかないのである。

第2は、数字を合成するときのウエイトが恣意 的になることだ。日本総研の幸福度では、各分野の指標を同じウエイトで単純に合成しているが、この点も健康、文化、仕事といった要素が「同じ重要さで、人々の幸福度に関係している」という根拠はない。かといって、正しいウエイトを決めることも難しいだろう。
以上のような理由から、私は"幸福度"を地域 別にランキング化するような試みには反対である。

だが、幸福度の考え方を"有意義"に使うことは可能だ。この点については、次回に説明しよう。

(以下次回へ続く 「幸福度の考え方(下) ―地域別ランキングの問題点―」)
著者:大正大学 地域創生学部教授 小峰隆夫

2018.06.05